世の中、健康的な食についての情報は溢れるほどあり、このブログの一文もその膨大な情報量の一部に加担している。
食についての良い悪いについては色々調べてきたけれど、重要だけれど意外と見落としがちなことがあるのではないかと思っている。
それは生き物は長い年月食べ続けてきたものが、その生き物の体に適した食べ物であるということ。
例えばパンダという生き物。彼らは笹を食べる。毎日でも食べる。うまそうに食べる。
パンダが言う「人間しゃん、この笹おいしいから食べてみな。繊維質も多いし体にとってもいいよ」
分かる。とてもよく分かる。あんなにかわいいお顔でむしゃむしゃ食べていればきっとおいしいのだろうと。
けれど、どんなに頼まれてもその一線は踏み込めない。
『だって人間だもの。』
そう、パンダにとって良いものが我々人間にとっていいものとは言えない。その逆も然り、我々の健康食がパンダに良い訳でもない。
そこから分かる事はなんだろう。
生き物は長い間食してきたものがあり、その食べ物がその生き物にとって体に良いものであり、適した食べ物であると言える。
今の世の中なにが起こるかわからない。もしかしたら来年には世界中笹しか取れない世の中が来るかもしれない。
でもきっと大丈夫。世界のどこかで笹を口にしてみる人が現れ、またどこかで笹を食べてもお腹を壊さない丈夫な歯と胃を持った人が現れる。
きっとその人はこの笹時代の救世主となり、子孫を繁栄させていく事だろう。
時を経て人類も笹に適した体になり、タイムマシーンができて過去に戻った人類が、毎日30品目せっせとバランスよく食べている人類に出会い、彼は言う。
「笹でよくねぇ?」
話しが少しズレてしまったが、食を考える上で、忘れてならない点。それは我々人類が長い歳月食べてきたものが、人に適した食事なのではないかという事。
それはここ何十年食べてきたものでなく、何千年、何万年という単位で考えても良いのかもしれない。
時には加工された現代の食品も、食を楽しむ上で口にするのもいいと思うけれど、基本となる食べ物は、そうした古くから人類が口にしてきたものを中心にした方が良いのだと思う。
変な言い方になってしまうけれど、動物や昆虫を飼う時に、どんな食べ物を与えれば良いのかを考えるように、「人」という生き物には適した食べ物があり、それは長い間その「人」という生き物が口にしてきたものだと思う。
何千年、何万年という時の厚さと食に想いを馳せ、今日の夕飯を考えてみるのも悪くない。
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